鈴木竜生がもうすぐ表彰台のてっぺんに立つ!
2019/05/13
竜生は、他の日本人ライダー4人たちより3歳年上だ。海渡、歩夢、一輝、はみな2000年生まれ (藍は2001年の1月生まれだが、学年は同じ)。そのため、グランプリまでの道のりも、竜生と他の4人は時期がずれていて、子供のころのポケバイやミニバイクの時代も、やはり竜生は彼らと同じレースで戦っていない。そして彼ら4人は、アジアタレントカップ、ヨーロッパで開催されているKTMのルーキーズカップ、そしてグランプリの入門レース、FIM_CEVレプソルインターナショナル選手権に進み、そこからグランプリ参戦のチケットを得ている。竜生は、そのルートができる前に、自らの力でグランプリライダーになっている。
2017年から竜生はSIC58スクーデリアコルセに移籍し、ホンダのマシンを手に入れた。SICは亡くなったマルコ・シモンチェリのお父さんが作ったチームで、若いライダーを受け入れ、そして最高峰へ押し上げることを目的としている。オールイタリアンのようなチームに、竜生はスタッフを含めて唯一の日本人として活動している。フランスからイタリアへ居を移し、ほとんどイタリア人の感覚で生活しているという。
「一緒にいる時間が長いバスティアニーニとかがレース中に前にいると、負けられないっていう気持ちになります。16年シーズンまではイタリア人ライダーと関わりがなかったから、同じ日本人ライダーには負けたくないという気持ちしかなかった。でも今は、イタリア人に負けたくない。〜中略〜『バスティアニーニが表彰台に上がっていて、何で俺が上がれないんだ!』って。昔の日本人ライダーが強かったころは、日本人同士で優勝争いをしていたから負けれない気持ちが大きくて強くなったんだと思います。だから、日本人にもイタリア人にも負けられないって思う気持ちはいいことだと思っています」
昨年のシーズン前、編集部を訪れてインタビューに応じてくれた竜生の言葉だ。普段の生活はイタリア語、パドックでは英語、イタリアの中央東側、ミサノサーキットのそばのリミニに住んでいる。シモンチェリの生家があり、シモンチェリのお父さん、パオロさんの家からも近い。
「家に帰って料理を始めようとするとシモンチェリパパから電話がかかってくるんです。家に食べに来いとか、一緒に食べに行こうとか。〜中略〜しかも、シモンチェリママの手料理がおいしんですよ!」
このあとフランス、イタリア、カタルニアと続く。竜生の優勝が見られるのも、そう遠くない。表彰台で泣いている竜生の姿を、見たい気がする。
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